過去の標語(令和5年~)

 

 

=施(ほどこ)しの気持ち=

 先日、ある方に美味しいケーキ屋さんを教えてもらいました。しっとりしたスポンジにまろやかな生クリーム、甘いイチゴ…。こんな美味しいお店を教えてくれてありがとうという気持ちと、同時にこのお店は自分だけの秘密にして誰にも教えたくない、という気持ちになりました。

 「誰にも教えたくない」という気持ちが、自分だけがいい思いをしたいという「物惜(ものお)しみ」の気持ちです。これが「餓鬼(がき)」の心です。

人の心の中には、36種類もの餓鬼がいるといわれています。

お風呂のお湯を、自分だけにかき集めようとするとお湯は逃げていきますが、向こうへ押すとはね返って自分の方へ戻ってきます。

 この現象は、何も物や事象に限ったことではありません。その人の運勢や人生にも同じことがいえるのです。

それは、自分だけの幸せを考えると逆に逃げていきますが、他人と幸せを共有することで自分の方にも幸せがかえってきます。

ある方が、私に美味しいケーキ屋さんを私に教えてくれたように、日常生活の中での些細(ささい)な喜びや幸せを周りの人にもお分けしていきましょう。

 そうすれば、些細な喜びや幸せが、大きな喜び、または大きな幸せ・幸運になることでしょう。

誰かに施(ほどこ)す気持ちを持つことが、いかに人生を豊かにするかが大事なことです。 



 

=真贋(しんがん)を見極める=

  世の中には、利根(りこん)といって生まれながらに頭脳明晰な人や目に見えないものを感じたりする人など、不思議な力(神通力)を持っている人がいるそうです。

 仏教には三(さん)明(みょう)六通(ろくつう)といって、過去・現在・未来を見通す力や煩悩(ぼんのう)を断(た)つことができるなどの6つの超能力が説かれています。

 そこで気を付けておきたいことがあります。人は、困っている時や心身ともに疲れ果ててしまし、苦しんでいる時には、藁(わら)をもすがるような気持ちで、こういう力だけに飛びついてしまいがちです。しかし、不思議な力に飛びつく前に少し冷静になって、それがまがい物(詐欺や宗教まがい等の勧誘)でないかを見極めましょう。

その判断基準の1つとして、きちんと物事の因縁(原因と結果)をわきまえているか、なぜこのような問題に直面しているのか、まず原因を考え探し探りだし、そして一つひとつ解決していく。また、個人のためではなく人びとの幸せ、世の中の平和に通じているかを考えてみることです。

 物事の善悪をきちんと判断できる基準を持ち、日々を安穏に過ごすにはどうしたらよいか考えましょう。自分一人で解決できなければ、解決する方法がわからなければ、家族や友人、同僚など信頼のおける人を頼り相談してみましょう。さすれば何かしらの解決方法が見つかるはずです。

 まずは、自分自身で考え行動し、判らなければ頼ってみることが大事です。

 詐欺行為に騙されず、迷わされず、信をもって正しい道を進むことです。 



=師を求めよう=

  人生という道に迷った時に頼りになるのが、道しるべを示してくれる「師」の存在です。

マスメディアやSNSなど、今日ではありとあらゆるところで情報があふれており、私たちが今いるこの現代では、何が本当のことなのか困惑してしまいがちになります。

 経済的利益のみを追求し、時間に追われる人。人間関係に疲れ、生きる喜び・やりがい・目標を失ってしまった人。私たちはみな苦しみや悩みを抱えて生きています。

人生に疲れ切って動けなくなる前に、周りの人に道を尋ねてみませんか?隣にいる人や友人、会社の先輩や同僚、お寺の人などにです。

 相談したり、助けを求めてみましょう。その人は年上の人であるとは限りません、あなたより若い人かもしれません。凝り固まった先入観を打ち破り、あなたの知らない考え方や進むべき方向性を示してくれる人、導いてくれる人が「師」なのです。

 「師」とは人生観を共有する友でもある、その可能性もあります。

 人生は成長の旅。良き「師」との出会いがきっとあなたの人生を豊かにすることでしょう。

 



 =怖(おそ)れない心=

  「大丈夫! 自分が今までやってきたことを信じて頑張れ! みんながついているから」と、励まされたことはありませんか。

 物事に取り組む時、苦難に遭遇したとき、不安に駆られひるんでしまった経験は、誰にでもあることだと思います。

 よく選手たちが、試合に臨む時、監督やコーチからそう励まされておじけづいた自分の心を奮い立たせたことは多々ある事でしょう。

 自分の力が信じられなくなったり、自分には味方がいないのだと思い込んでしまうと、人はどんどん弱気になってしまい、物事から逃げだしたくなったり、投げだしてしまいそうになったりと、心が折れそうになったり弱くなったりとなることだと思います。

 しかし、人生には勇気を持って突き進んでいかなければならない場面がたくさんあります。身近なことでよく思い当たることは、仕事や人間関係などではないでしょうか。

そんな時は自分を信じてみましょう。「自分ならできる」と想い信じ行動してみましょう。不思議と目に見えない力が働くものです。

 不信感や孤独感に陥(おちい)ることなく、百獣の王・ライオンのような、いざというときに怖れない心・ひるまない心を養っていきましょう。



 =試練=

 物事に一生懸命に取り組めば取り組むほど、課題や障害がたくさん浮上(ふじょう)して、前に進めなくなる時があります。

 たとえば、何度も練(ね)りに練(ね)った企画書にダメ出しをされたり、苦情を受けたりなどなど…。人生はうまくいかないことばかり。まさに試練の連続といえるのではないでしょうか。

 そんな時、まず自分自身にて心得(こころえ)ておきたいのは、「自分は完璧ではない」ということです。

必要以上に落ち込まず、ありのままに受け止めてみることが大事なこと、大切なことです。

原料から鉄を作る時は、高温で熱(ねっ)します。そうしないと原料の中に含まれている不純物が取り出せず、良い鉄ができないのです。

 これと同じように、私たちも一生懸命物事に取り組むことで鍛えられ、そして試練を乗り越えて、その先にあるであろう物事をやりきった充実感・満足感、そして味のある人間として成長していくことができるのです。

完璧な人などいません。逆にいえば、成長できる伸びしろがたくさんあるということ、人からまた物事から教えられ、学べることがたくさんできるのです。成長していくのには、急がず、休まず、怠らず、1歩1歩ゆっくり進んでいけばいいんです。

 自分自身を振り返り、見つめ直し、苦難をどうとらえたらいいのかを学ぶことが、生きる力をもらえる(養える)のです。

 



 =人生の目的=

「生まれて来なければよかった…」

「どうせ死ぬのに何で生きなきゃならないんだろう?」

生きていくということは大変なことです。日々の生活、仕事、対人関係、自然現象(災害等)、家庭環境などいろいろと悩みがあり、またストレスが溜まる社会・世の中で、現実に皆さまにもいろいろとあることと思われます。

こんなご時世だからこそ、時に私たちは生きる目的を見失います。そんな時どうしたらいいのでしょうか?

また、悩んでいるのはあなただけではありません。いろんな方が何らかの悩みをお持ちでしょう。まずは深呼吸をして、空を見上げましょう。自然に身をゆだね草花のいのちを感じ、虫の声に耳を傾けましょう。また、気持ちが楽になる人に会いに行きましょう。そうすれば、少しづつではありますが、生きる力が湧いてきます。生きる力が湧いてくれば前を向いて歩くことができます。さらに考える力・思考力も向上し、仕事、家庭、対人関係など改善されより良い関係を持つことができることでしょう。

みなさんも精一杯生きておられていることでしょう。しかし、これ以上に向上していこうとすること(想い)が大事なのです。

生死の悩みは永遠の課題です。お釈迦さまは「いのち」を、三世(過去・現在・未来)に生きる永遠のものとします。人の行動や言葉は誰かとの「つながり(縁)」となって永遠にあなたの「いのち」として生きることにもなるのです。

私たちは悩むことも、生きていくうえでは必要なことです。

今日も素晴らしい1日を生き切りましょう。

 



 =ものの見方、とらえ方=

 100円玉やほかの硬貨は、普通に何気なく見まてみると丸い形にみえることだと思います。ではこの効果を入れる貯金箱の穴の形はどうでしょうか? 

どのような貯金箱でも細長い四角になっているはずです。

100円玉やほかの硬貨を横から見ると四角だからです。

100円玉は「丸」でもあり「四角」でもあります。

  表題の文章は「私たちの心が物に飢(う)えた餓鬼(がき)の状態だと、水も火に見えてしまいます」という喩(たと)えです。

私たちの心の状態が安定していないと、物事を偏(かたよ)った見方でしかできなくなってしまいます。

私たちが耳にする言葉の中に「正解(せいかい)依存症(いぞんしょう)」という言葉があります。

これは、私たちが自分なりの「正解」を見つけると、それを疑うことができなくなり、また他人にも自分の正解を押し付けて、そして自分なりの「正解」以外は受け付けることができない状態になることだと言われます。

100円玉が「丸」でも「四角」でもあるように、日常生活のさまざまな出来事を、いろいろな角度から見てみることこそ大事ではないでしょうか。

私たちは、人それぞれの価値観や多様性決めつけ、それをいかに正しいことだと思い込み、他人に押し付けることではなく、それを認める豊かな心を育くむことが大切であり、また育てなければならいことこそが大切ではないでしょうか。

物事を一方向からみるのではなく、柔軟に、かついろんな見方をしながら答えを出していく。また、出した答えは一つではなくいくつもあるのだと考えてみてはいかがでしょうか。

 



 

=人間関係=

 「あ~、なんだか仕事行きたくないなぁ~、学校行きたくないなぁ~、苦手なあの人の顔見たくないなぁ~」と思う時がありませんか?

今現代、現在おかれているあなた自身の立場や地位、対人関係等のストレスなど、こんな思いを抱くことは、結構な頻度(ひんど)で、誰にでも思うことはあるのではないでしょうか。

できればイヤな人、苦手な人からは距離をおきたいと思うものです。しかし、人間はお互い関わりあって生きている生き物なのです。

「お1人さま」または「ぼっち」といわれる「孤独感」が、一番心身に良くないことではないでしょうか、というよりはっきりとよくないものなのです。

ですから、こう考えてみてはどうでしょうか? 

自分と接する人は、みんな自分自身を写してくれる鏡、時にはあなた自身の不得手な部分を写し出してくれることもあるのだと。

いろんな人と接することは、「違う自分」または「自分の長所・短所」などの再発見につながることがあります。

もしかすると、自分が苦手としているその人は、大事なことを教えてくれているのかもしれません。

あなたの周りにいる人は、良くも悪くもお手本を示してくれる人がいるのです。

その人自身の想いかた、とらえ方はあるとは思いますが、決して悪いことではなく、周りの人を観察・思考して、悪い事、良い事を見極めて、自分自身の成長の糧(かて)とすることがとても大切なことなのです。それが人とのつながりだと言えるでしょう。そして、善悪が理解できる人間になりましょう。

この事は、人が心身ともに成長するためにも大事なことなのです。 



 =思い切りよく=

  あなたは、朝起きたらまず何をしますか? 

 まず歯を磨きますか?それとも顔を洗いますか?

 こんな日常の些細(ささい)なことでも、私たちはその都度(つど)決断しています。

 ケンブリッジ大学での研究によりますと、私たちは1日に3万5千回も決断をしているというのです。

 そう考えますと、私たちそれぞれの人生は、さまざまな決断の連続なのではないでしょうか。

 思い切りよく決断できるにこしたことはありませんが、しかし迷いが生じて、煮え切らないことも多々あることだと思います。気持ちの整理がおいつかず混乱し、時にはやる気や元気を失くしたりすることがあるでしょう。

そんな時は、あなた自身と周囲の皆(みんな)が心の内からワクワクして、そして笑顔になれることを考え、判断し行動してみましょう。

 それでもダメだったら、気持ちをきりかえてゆっくり時期を待つということも大切なことです。そういう決断をしてみることも良いのではないでしょうか。

 悩み迷うことは、自分がさらに今まで以上に成長しようとしている証拠なのです。

 上記の言葉は、何事も勇気と自信をもって行動することが大切だと示された文章で、激励のメッセージともいえる箇所からの抜粋です。

 迷っている人の背中をそっと押してくれる心遣いが伝わってくるようなお言葉です。

 私たちの一生の中で迷う時は多々訪れることでしょう。そして、救いの手は必ずあらわれます。その時、あなた自身が思い切れるかどうかです。

 幸福な人生とは、周りに支えられ、そして自分自身の手でつかみとるものではないでしょうか。

 



=しなやかな心で=

 私たちは、とかく褒(ほ)められれば有頂天(うちょうてん)になりやすく、文句をいわれれば怒りやすく、またきれたり、時にはへこんだりと…。

 私たちが生活していくうえで、何かとストレスがたまる、またはたまりやすい現代の社会です。

さて、私たちの身の回りには8つの風が吹いているといわれています。喜んだり、しょげたり、傷付けられたり、感謝されたり、尊敬されたり、陰口をたたかれたり、辛くなったり、楽しくなったり…。

良い風の吹く日もあれば、嫌な風が吹く日もあります。それが人生といえるでしょう。

 生きていればいろいろなことがあったり、またおこったりしますが、それを乗り越えていくためには、何事にも動じない頑強(がんきょう)な心ばかりではありません。また一人では解決できないこともあるでしょう。

 どうしても解決できない、良い方向にいかない時は、どうしていいかわからないこと、悩みや苦しみはけっして1人では抱(かか)えず、お寺や公的機関、周りの人に相談してみるとよいでしょう。これも一つの方法です。

木の枝は頑強なほど折れやすいものです。どんな風とも仲良くできる枝垂れ桜のように、また柳の木のように、しなやかにしなやかに生きていきましょう。

 思い通りにいかないとき、人としてどんな心構えで暮らしていけばいいのか、そして、人を怨(うら)まず、まず穏(おだ)かな心を保ち、物事を大切に思い、真剣に考え考慮することが事態の好転につながります。

どうか、一人で解決できれば良いですが、できなければ、無理をせず誰かに相談して助けてもらうことも大事ではないでしょうか。 

 



=尊敬(そんけい)と羨望(せんぼう)=

世界や社会で活躍する人たちは、その努力や人柄、結果に対して多くの人から尊敬の心を抱かれます。

しかし、時(とき)として私たちはその副次的に得る富を、成功や尊敬の証(あかし)と短絡的に考え、そこだけを真似することも多いことだと思います。

つまり、高価なものを所有するなどして、尊敬と似(に)て非なる羨望(せんぼう)(人をうらやましく思うこと)を受けたいという欲求を起こすのです。実は羨望は、妬(ねた)みとも解釈されます。

身近で尊敬される人とは、困っていたら手を差し伸べて助けてくれたり、的確な助言をくれたり、いつでも相手のことを思いやり気遣いながら、親身になってくれる人のことをいいます。

あなたにとって、そういった尊敬できる人がいるならば、それはあなたがそこに至りたい、その人のことをうらやましく、同じような人になりたいと思っているからです。ある意味、憧(あこが)れともいえるでしょう。

あなたは、あなた自身のままで尊敬する人を鑑(かがみ)としながら人生を歩んで行けば、意識せずあなた自身が人から尊敬される存在となりうることでしょう。

羨望されたいは捨てて、尊敬されるような生き方をしている方は、知らず知らずのうちに周りをも幸せにしています。また、幸せになっていることでしょう。

あなた自身の生き方を、今一度見つめ直して、考えてみるのもいいのではないでしょうか。

生き方が、羨望なのか尊敬に値するのか、それともそうなりたいと努力しているのか。

あなたは、どちらなのでしょうか。