過去の標語(令和5年~)

 =ものの見方、とらえ方=

 100円玉やほかの硬貨は、普通に何気なく見まてみると丸い形にみえることだと思います。ではこの効果を入れる貯金箱の穴の形はどうでしょうか? 

どのような貯金箱でも細長い四角になっているはずです。

100円玉やほかの硬貨を横から見ると四角だからです。

100円玉は「丸」でもあり「四角」でもあります。

  表題の文章は「私たちの心が物に飢(う)えた餓鬼(がき)の状態だと、水も火に見えてしまいます」という喩(たと)えです。

私たちの心の状態が安定していないと、物事を偏(かたよ)った見方でしかできなくなってしまいます。

私たちが耳にする言葉の中に「正解(せいかい)依存症(いぞんしょう)」という言葉があります。

これは、私たちが自分なりの「正解」を見つけると、それを疑うことができなくなり、また他人にも自分の正解を押し付けて、そして自分なりの「正解」以外は受け付けることができない状態になることだと言われます。

100円玉が「丸」でも「四角」でもあるように、日常生活のさまざまな出来事を、いろいろな角度から見てみることこそ大事ではないでしょうか。

私たちは、人それぞれの価値観や多様性決めつけ、それをいかに正しいことだと思い込み、他人に押し付けることではなく、それを認める豊かな心を育くむことが大切であり、また育てなければならいことこそが大切ではないでしょうか。

物事を一方向からみるのではなく、柔軟に、かついろんな見方をしながら答えを出していく。また、出した答えは一つではなくいくつもあるのだと考えてみてはいかがでしょうか。

 



 

=人間関係=

 「あ~、なんだか仕事行きたくないなぁ~、学校行きたくないなぁ~、苦手なあの人の顔見たくないなぁ~」と思う時がありませんか?

今現代、現在おかれているあなた自身の立場や地位、対人関係等のストレスなど、こんな思いを抱くことは、結構な頻度(ひんど)で、誰にでも思うことはあるのではないでしょうか。

できればイヤな人、苦手な人からは距離をおきたいと思うものです。しかし、人間はお互い関わりあって生きている生き物なのです。

「お1人さま」または「ぼっち」といわれる「孤独感」が、一番心身に良くないことではないでしょうか、というよりはっきりとよくないものなのです。

ですから、こう考えてみてはどうでしょうか? 

自分と接する人は、みんな自分自身を写してくれる鏡、時にはあなた自身の不得手な部分を写し出してくれることもあるのだと。

いろんな人と接することは、「違う自分」または「自分の長所・短所」などの再発見につながることがあります。

もしかすると、自分が苦手としているその人は、大事なことを教えてくれているのかもしれません。

あなたの周りにいる人は、良くも悪くもお手本を示してくれる人がいるのです。

その人自身の想いかた、とらえ方はあるとは思いますが、決して悪いことではなく、周りの人を観察・思考して、悪い事、良い事を見極めて、自分自身の成長の糧(かて)とすることがとても大切なことなのです。それが人とのつながりだと言えるでしょう。そして、善悪が理解できる人間になりましょう。

この事は、人が心身ともに成長するためにも大事なことなのです。 



 =思い切りよく=

  あなたは、朝起きたらまず何をしますか? 

 まず歯を磨きますか?それとも顔を洗いますか?

 こんな日常の些細(ささい)なことでも、私たちはその都度(つど)決断しています。

 ケンブリッジ大学での研究によりますと、私たちは1日に3万5千回も決断をしているというのです。

 そう考えますと、私たちそれぞれの人生は、さまざまな決断の連続なのではないでしょうか。

 思い切りよく決断できるにこしたことはありませんが、しかし迷いが生じて、煮え切らないことも多々あることだと思います。気持ちの整理がおいつかず混乱し、時にはやる気や元気を失くしたりすることがあるでしょう。

そんな時は、あなた自身と周囲の皆(みんな)が心の内からワクワクして、そして笑顔になれることを考え、判断し行動してみましょう。

 それでもダメだったら、気持ちをきりかえてゆっくり時期を待つということも大切なことです。そういう決断をしてみることも良いのではないでしょうか。

 悩み迷うことは、自分がさらに今まで以上に成長しようとしている証拠なのです。

 上記の言葉は、何事も勇気と自信をもって行動することが大切だと示された文章で、激励のメッセージともいえる箇所からの抜粋です。

 迷っている人の背中をそっと押してくれる心遣いが伝わってくるようなお言葉です。

 私たちの一生の中で迷う時は多々訪れることでしょう。そして、救いの手は必ずあらわれます。その時、あなた自身が思い切れるかどうかです。

 幸福な人生とは、周りに支えられ、そして自分自身の手でつかみとるものではないでしょうか。

 



=しなやかな心で=

 私たちは、とかく褒(ほ)められれば有頂天(うちょうてん)になりやすく、文句をいわれれば怒りやすく、またきれたり、時にはへこんだりと…。

 私たちが生活していくうえで、何かとストレスがたまる、またはたまりやすい現代の社会です。

さて、私たちの身の回りには8つの風が吹いているといわれています。喜んだり、しょげたり、傷付けられたり、感謝されたり、尊敬されたり、陰口をたたかれたり、辛くなったり、楽しくなったり…。

良い風の吹く日もあれば、嫌な風が吹く日もあります。それが人生といえるでしょう。

 生きていればいろいろなことがあったり、またおこったりしますが、それを乗り越えていくためには、何事にも動じない頑強(がんきょう)な心ばかりではありません。また一人では解決できないこともあるでしょう。

 どうしても解決できない、良い方向にいかない時は、どうしていいかわからないこと、悩みや苦しみはけっして1人では抱(かか)えず、お寺や公的機関、周りの人に相談してみるとよいでしょう。これも一つの方法です。

木の枝は頑強なほど折れやすいものです。どんな風とも仲良くできる枝垂れ桜のように、また柳の木のように、しなやかにしなやかに生きていきましょう。

 思い通りにいかないとき、人としてどんな心構えで暮らしていけばいいのか、そして、人を怨(うら)まず、まず穏(おだ)かな心を保ち、物事を大切に思い、真剣に考え考慮することが事態の好転につながります。

どうか、一人で解決できれば良いですが、できなければ、無理をせず誰かに相談して助けてもらうことも大事ではないでしょうか。 

 



=尊敬(そんけい)と羨望(せんぼう)=

世界や社会で活躍する人たちは、その努力や人柄、結果に対して多くの人から尊敬の心を抱かれます。

しかし、時(とき)として私たちはその副次的に得る富を、成功や尊敬の証(あかし)と短絡的に考え、そこだけを真似することも多いことだと思います。

つまり、高価なものを所有するなどして、尊敬と似(に)て非なる羨望(せんぼう)(人をうらやましく思うこと)を受けたいという欲求を起こすのです。実は羨望は、妬(ねた)みとも解釈されます。

身近で尊敬される人とは、困っていたら手を差し伸べて助けてくれたり、的確な助言をくれたり、いつでも相手のことを思いやり気遣いながら、親身になってくれる人のことをいいます。

あなたにとって、そういった尊敬できる人がいるならば、それはあなたがそこに至りたい、その人のことをうらやましく、同じような人になりたいと思っているからです。ある意味、憧(あこが)れともいえるでしょう。

あなたは、あなた自身のままで尊敬する人を鑑(かがみ)としながら人生を歩んで行けば、意識せずあなた自身が人から尊敬される存在となりうることでしょう。

羨望されたいは捨てて、尊敬されるような生き方をしている方は、知らず知らずのうちに周りをも幸せにしています。また、幸せになっていることでしょう。

あなた自身の生き方を、今一度見つめ直して、考えてみるのもいいのではないでしょうか。

生き方が、羨望なのか尊敬に値するのか、それともそうなりたいと努力しているのか。

あなたは、どちらなのでしょうか。